先日のブログでは、「古典物理学から量子力学へ」の変遷をかいてみました。
知っているか、いないか、で世界観はかわります。
その意味で、学ぶことは面白いです。
ということで、
今回は、
「観測から関与へ」
量子力学は電子(素粒子)を観測することにより発展したということができます。
電子を観察した結果、電子の位置と運動は、ニュートン力学による決定論的因果律に従わないことが認められたのです。
そして、必ず観測者の行為によって影響を受けます。
だから、観測ということは意味を為さず、実在するものは「関与」のみであることが明らかになりました。
すなわち「客観的存在」そのものが意味を為さなくなったのです。
2人の理論物理学者の言葉です。
「たとえば、電子はおなじ位置にとどまるかと問うなら“否”と答えねばなるまい。では、電子の位置は時間と共にかわるのかと問うなら“否”である。電子は静止しているのかと問うなら“否”と言わねばなるまい。では、電子は運動しているのかと問うなら、これも“否”である。」
(T・R・オッペンハイマー)
「原子の段階まで自然の構造を下ってくると、時間と空間との中での客観的な世界は、もはや存在しない状況となり、理論物理学の数学的記号は、事実ではなく可能性のみ言及することになるのである。」
(ウェルナー・ハイゼンベルグ)
これが不確定性原理であり、その可能性を示したのが、シュレディンガーの波動函数です。
ところで、最近見はじめた海外ドラマ『ブレキング・バッド』の主人公が、裏の世界では、ハイゼンベルグと名乗っていました。
まじめな人生を送っていた教師が、病をきっかけにどんどん変わっていきます。
第2の人生という観点から見ると、とても興味深いですね!
それはさておき、
「シュレディンガーの波動函数」
電子の存在(位置と運動)は、測定行為によって影響を受けますが、その範囲は決まっており一定の確率に従います。
それは電子が粒子であると同時に波であることに由来するものであると解釈されています。
そこで、電子は粒子であって波であるということについて考えてみます。
図1を見てください↓
光源があって乾板があって、その間に1カ所スリット(孔)のある幕があるとします。
光がこの乾板に当たって、どのように映るかというと、まっすぐ一点だけにポンとした光が映るのではありません。
濃く光る部分とその周りに薄くボヤッとした部分が映ります。
これは、光というのは波であって、多く光がいくところと少ししかいかないところがあって、明るいところと薄いところができるのです。
ところが、光源をしぼっていって1個のフォトン(光子)だけを発射することができます。
これを観測すると、図2のように、ニュートン力学が示すように①の観測点に当たります。↓
光子は粒子です。
ところが1万発の光子を観察せずに発射しますと図1のような明暗になるのです。
ということは、電子というものは、光源から出てまっすぐいくものもあれば、上へいくものも、下へいくものもあるわけです。
一個一個の電子です。
それで一万発打ったら中心の明るいところのまわりがぼんやりして見えるのです。
有名なのが、二重スリット実験です。
A・Bに穴があいていて、図3のようにBを閉じると光は乾板の中で、Cが一番よく光って、後はずっと上下に段々薄くなっていくわけです。↓
これがBを閉じたAのみの時です。
ところが図4のようにAとBの両方開いた時には、きれいな縞模様が乾板にでてくるわけです。↓
即ち、光という粒子が相互干渉をして、一つの時は全体にボーっとなるけれど、二つ開いた時には、縞模様ができるのです。
この光子の位置と運動の可能性を示したのが、シュレディンガーの波動函数ということができるでしょう。
光源から出た1個の光子は、ニュートン力学の因果律に従わないで、シュレディンガーの波動方程式が示す確率に従うのです。
この事実からコペンハーゲン解釈が生まれました。
次回に続く…
ところで、コペンハーゲンを検索したら、いま、バルセロナでは、モバイル業界で世界最大のイベント「Mobile World Congress」が開催されてるんですね。
コペンハーゲンの若手ベンチャーが紹介されていました。
VRの未来がこれからも楽しみですね。
AIもどうなっていくんでしょうか!?
アイトラッキングを制する者が“VR”を制す?【MWC 2016 Vol.25】
コーチングは、学ぶと面白いことになります。
楽しんでいきましょう!
苫米地式コーチング認定コーチ
いしい たかし