コーチング理論は、膨大な理論体系の上に成り立っているので、抽象度がとても高いものとなっています。
苫米地博士の本で、さらっと書いてあることの裏側には、大変な情報量があります。(当然ですが!!)
博士の著書を読んで、より理解し、実際に日常生活や、仕事場で活用していくために、前提としての科学や、宗教の知識を少しまとめてみようと思います。
完全理解というか、ヒューリスティックに!(謙虚!)
というわけで、
「古典物理学から量子力学へ」
古典物理学(ニュートン力学)は客観的世界が存在するという前提に立っています。
意識を持つ存在(自)に対して客観的存在(他)があります。
(自)と(他)は各々が個的存在として認められます。これを相対次元における個的存在といいます。
(自)と(他)の存在(位置と運動)を観測して、その存在を普遍的に表現することができます。
「月」は客観的存在であり、その位置と運動を普遍的に表現することができ、一年後の位置と運動を正確に予測することができます。
そしてニュートン力学は普遍的な真理として君臨してきました。
医学知識などもこの基盤において成り立っています。
しかし、これは仮説であることが明らかになりました。
医学知識などは、仮説のうえに造られた知識なのです。
医学的な知識が普遍的な真理であると、思いこまされてはなりません!(<(`^´)>エヘン!)
仮説の上に立った知識なのですが、たまたま機能的な面で役に立つことがあるから使っているだけなのです!(だからこそ、すばらしいのですが!!)
医学知識というものは、仮説の上に造られた知識であることを忘れてはなりません。
そうです。
量子力学は、客観的な世界は存在しない、ということを明らかにしました。
世界について客観的な知識を持つことはできないのです。
(自)が(他)の存在(位置と運動)を測定しようとする時、(自)の行為によって(他)の存在(位置と運動)は影響を受けます。
それ故、存在するものは客観的ではなく、「私がしかじかと測定するもの」であって普遍性は無いというのです。
「月」は「私」が見た時にのみ存在し(私の見た月)、「私」が見ない時に存在する「月」は意味を持たない。(貴方の見た月)は(私の見た月)と同じものではないのです。
ウェルナー・ハイゼンベルグは言っています。
『わたしたちが観察しているものは自然そのものではない。わたしたちが自然だと言っているものは、わたしたちが問いかけた方法に対して姿をあらわした自然だということを覚えておかなければならない。』
例えば、多くの人は、誰が見ようと見まいと月があると信じています。
全ての人々に対して月は客観的存在であると確信しています。
それが常識です。
一年後に月がいつどこに現れるかは、計算したらその通りになると思い込んでいます。それが、古典力学(ニュートン力学)です。
私もそう思い込んでいました。
しかし、実は間違いなのです。
非常に小さな誤差ですから、恰も予測できるように思いますけれども、正確には予測できないのです。
わかりやすく言いますと、私が見た月は、私が見るという行為によって、変化する。
私が見た時だけ、私の見た月はあります。
私が見ない時、貴方が見ていて月はあったとしても、それは貴方が見た月があったのです。
私の見た月とは違います。
それが量子力学の世界なのです。
ウェルナー・ハイゼンベルグが言っているのは、物理学というのは自然を客観的に観察しようとするのだが、物理学者が観察している自然というのは自然そのものではなく、観察する行為に合わせて顔をあらわした自然だということです。
コーチングもヒーリングも医療行為も、その「みる」方法に合わせて顔を出したクライアントの一部です。
医療行為の肝機能検査の例で言えば、データとして顔を出した肝機能の一部だけを知っているだけで、その人の肝機能全部を知っているわけではないのです。それが科学的態度です。
その意味で、映画『マトリックス』はとてもおもしろいです!
こうした前提知識があると、コーチング理論の運用段階で、より早く、より効果的に活用できるかと思います!
私は、昨年1月、赤字の事業所に管理職として就職し、コーチング理論を活用しながら、やる気のなかったスタッフをやる気で溢れさせ、自主的に判断する組織に変革し、黒字に転換させることができました。
理論のつかい方は、ほんちょっとのコツです。
こうした前提知識だったりします。
すごい人である必要はなかったりします。
次回は、シュレディンガーの波動函数とコペンハーゲン解釈にも触れたいと思います!
苫米地式コーチング認定コーチ
いしい たかし